神田織音を応援する会

「神田織音を応援する会」のお知らせ

 講談師・神田織音を応援したいというお客様にご賛同いただき「応援していただく会」です。

○ ご入会を希望される方は、電話、メール、郵便等「お名前」「ご住所」「お電話番号」「メールアドレス」(ある方のみ)をご連絡ください。

○年会費は1500円とさせていただき、入会後の翌4月より会費を頂きます。

○入会された方には

   ◎「神田織音独演会」ご案内と割引

   ◎年四回「織音便り」を発送。

                 

織音便り(2021年3月発行)より抜粋記事

追悼 神田翠月先生

 昨年の十二月、講談の大先輩である神田翠月先生と講談界初の人間国宝でいらした一龍斎貞水先生が続けて逝去されました。

 特に翠月先生は同じ神田一門ですのでここで少し振り返ってみたいと思います。

 翠月先生が入門されたのは、あのお笑い三人組のメンバーでいらした一龍斎貞鳳先生が「講談師ただいま24人」という著書を出された頃、昭和四十年代後半の事でした。おそらく講談四百年の歴史の中でも最も講談師の数が少ない頃ではなかろうかと存じます。(ちなみに現在は八十人ほどです)師匠はヒゲがトレードマークの田辺一鶴先生でした。

 当時の講談界に女性がいなかった訳ではありませんが長く続かなかったり、「講談を女性が語るなんて!」という空気は講談界にもお客様の中にもあり随分と肩身の狭い思いをされた事と察します。それでも講談へ寄せる熱い思いと意地、もあったのではなかろうかと思いますが、同時期に入門された宝井琴桜先生と、当時バリバリの男社会だった講談界で奮闘されました。今では講談界は女性が半分を超えましたが、先生方がそのパイオニアでいらしたことは申すまでもございません。

 その後一鶴先生の門下から私の大師匠に当たる二代目の神田山陽門下となられ「神田翠月」と名乗られました。その後少し間を置いてから私の師匠である香織が入門するのですが、その頃は一時期に複数の女性が入門されアイドル的な扱われ方もされたようです。

 私が入門したのは一九九九年で、その頃になると講談界の女性の割合は三分の一程にまで上っておりました。同じ頃にNHKの朝ドラで「やんちゃくれ」という女性講談師がヒロインのドラマが放送されておりましたが、これは「講談師になる女性がいる事」を社会が受け入れた結果かと思います。

神田織音を応援する会事務局

 e-mail:orinekai@vmail.plala.or.jp